2024/10/14★時間割
http://www.fcs9981.sakura.ne.jp/241014.pdf
数少ない問い合わせがあった時、必ず、それも恐る恐る尋ねられる事がある。それは「動画を見るのですか?」だ。
余程、動画を使った授業形態の学習塾高等部・予備校フランチャイジーの評判が悪く、世間で定着してしまっているのだろう。
確かに、ただ動画を見せ、チューターは出欠確認の電話をするだけで、教えるわけでもなく(教える学力もない?)自習室を与えるだけの「脱力運営」が横行していて?(しかも高額)そのような心配をなされて電話をかけてあるのかひしひしと伝わるものがある。
自習できて学校の課題の質問に答えて頂けるのですか?この回答にも窮してしまった。何故なら、僕が答えるより生徒が答える(教える)方が数学教室では遥かに多いからだ。どうも動画を利用した他多数では宿題や分からない所は教えてくれない実態が伺える。
自習ができて、分からないところがすぐ聞ける。どうも、これがこの地区の求める標準的教育的ニーズのようだ。しかし、数学教室の各位が気づいているように、それでは元々賢い子だけしか合格できない。
できない子(昨今ではかなり危険な表現)が賢い子になるには、賢い子と同じ事をすればいい。作法を変えると言う事だ(自習では変わらない)。で、その作法とは新しい事を学ぶ前に、準備を事前にして臨むこと。
何も準備せず人(先生)の話を聞くより、事前に準備した方が「その話なるほどね!」となって先生の話についていける、分かる!ようになる。多分、賢い人とは人(先生)の話をちょっと聞いただけで「それ分かる分かる」と言う人種だ。しかしそれは最初から生まれ持ったものではなく(スポーツや将棋は才能で別)小中学校時代から訓練し少しずつ身につけたものだろう。
だから、彼らの境地と並ぶために準備(稽古=問題)をする。最初は時間を要していたものも準備(稽古)を通して時短していけば賢い子の境地に肉薄できるだろう(チャートのページは賢い子の道のり)。
動画はその準備のため使う。本(チャート)を読むより人からその内容を聞いた方が全体像を掴みやすく(動画を見る事自体が勉強ではない。掴む事。但し東大・京大・医進レベルは動画より文字)何より文字より言葉の方が情報量が大きい。そして、教室に来なくても「何時でも」「何処でも」「何回でも」学ぶ事ができ「時間」「空間」「金銭」の縛りから解放される。
教室は分からない事を聞く場か?実は質問はほぼ出ない。では何をするのか?生徒を教える?それもいいだろう。でも、賢い子がやる事を共有するだけでいいと思う。人間は一人では弱い時もあるのだから。
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