2024/11/4★時間割
http://www.fcs9981.sakura.ne.jp/241104.pdf
人間は突然「わかった」とひらめく時がある。勉強も同じで、何かのきっかけ(授業、本、文字)で全体像が見える日(時間)がある。その時の事を頓悟と云うがググってみると「仏教用語・ただちに悟りの境地に達することを頓悟、順を追って次第に悟りに近づくことを漸悟という」とある。
ひらめき(頓悟)は突然現れるものではない。やはり日頃、継続(漸悟)しないとその時は訪れない。ひらめきの頻度はやはり経験の積み重ねの大小に比例することは誰しも想像に難くない。
毎日学校に朝課外から夜になるまで授業を受けて(経験を積んで?)いるのになかなかひらめきません? 勿論、僕の責任もあるだろう。しかしそこは感情をはさまず考えてみるとマンネリからはひらめきは生まれそうにない。経験の種類の多さ、バリエーションを持つ人ほどひらめいて、そのひらめきも凄そうだ。そして、そのひらめきは新しい経験がトリガー(きっかけ)となって生まれてくるストーリー(勘違い?)が作られてきた。
古今東西、旅行記が残っているように、非日常に期待し、何か(変化)を求めている(冬期講習?、本屋の参考書コーナーの誘惑?)。
マンネリからはひらめきは確かに生まれにくい。よって新しい経験に打開策を求めようとしがちになる(持たない人ほど旅に期待する)。
しかし、旅行(非日常)に明け暮れると日頃(日常)の仕事ができなくなり、生活が崩壊する。洋服や車、スマホ等(家、部屋)持ちもの(環境)を買わないとモチベが上がらず仕事ができない人あるあるもそれだろう(受験生で云えば前者は本、講座。後者は自習室、塾・予備校?)。
さて、数学教室ではまづ学校の教材や授業動画を使い、学校の先取りを行い、学校の授業を「なるほど~」にしてきた。これは生徒にとって数学に触れる最大の時間(塾の時間はたかが知れている)を100%経験(漸悟)の時間にするためのものである(授業中ノートを取るのに忙殺されたり、意味が分からない時間だと経験にならないどころか苦痛でしかない)。
授業時間全てを経験にする事で日常が充実したら、ここで旅である。それはセンター過去問だ(ただ、10月末の春日高1のように幾何の次、直ぐ整数に入るとセンター「旅」をする時間はなくなってしまう。早く出発すれば遠くの景色「国公立大」を拝めるのは数学も旅行も同じである)。
高1春休みから参加した生徒は二次関数を終えて入学式を迎えたように夏休み、冬休み、まどかでも次の学期のチャートの先取りをする事ができる。そうなると更なるスペシャルツアー(マスト・箕輪・愛海・山本矩・安田・新作・理系新作)が日常から組める。ひらめき(頓悟)が生まれるのは最早必然となる。
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