ヒトより賢いAIを手に入れたら人類は勉強から開放されるのか

佐藤 信宏 佐藤 信宏

すべてが「加速」する世界に備えよ

 『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』という書籍をご存知でしょうか?

 今後、加速的に進化・発展するAIテクノロジー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー等が掛け算されることで、社会はとてつもないスピードで破壊的な変革を遂げるだろうというのが本書の大筋です。

 かつて隆盛を極めた日本の自動車産業は、脱炭素(脱ガソリン)化と自動運転技術という荒波に飲み込まれて、大手メーカーであってもその産業構造を大きく変えない限り存続すら危うい状況がすぐそこまで来ています。

 これは自動車メーカーだけの話ではありません。下請工場だけの話でもありません。

 自動車に関連する職種・業種なんてのは、数限りなく存在していますが、それらが短期間で一掃されうるという想像を絶する事態です。

 自動車関連産業はあくまで一例であり、そういった破壊的な大変革が多くの分野で起こるであろうと本書では書かれています。

人智を超えたAI

 いくら足が速い人でも車や電車にスピードで勝とうとは思わないように、いくら計算が得意だと言う人でも、コンピュータの計算結果と自分のそれとが違った際には自分の計算ミスを疑うでしょう。

 それぐらい私達はコンピュータの計算能力を信じています。

 それと同じように、AIが下す判断が信用される世の中が近づいているというのが想像できますでしょうか?

 単純演算のような正解のある問いだけではなく、どんな問いであってもAIが正しい答えを下す世界です。

 機械が人間のように状況を把握し思考し何かを判断するなんて、まだまだSFアニメの中だけの話だと思いますか?

 しかし、もう既にAIは人間にはとうてい記憶できない量のデータ(過去)を飲み込み、人間にはとても認識しきれない数のあらゆる種類のセンサーを使って現状を把握し、億や兆を超える変数を操り人間より遥かに深く計算することが可能になりつつあります。

 その結果導き出された答えというのは、たかだか人間が考えて下す決断よりも遥かに多角的で客観的で正しいと言わざるを得ません。

 AIが下す判断は、世界中の賢い人間を集めて十分に議論させて導き出した結論よりも必ず正しいというのが当たり前に感じる時代がすぐそこまで来ています。

 まるで現在の電卓がはじき出す計算結果のように。

 しかもそのAIは世界に一つのスーパーコンピュータではありません。

 それは全人類のポケットの中です。あるいはメガネの縁かも知れません。

 いずれにせよ誰もが当たり前に、世界一賢い人よりも賢い判断を手に入れられる時代です。

選択する責任と覚悟

 もしそんな時代が来たら、我々はもう自分の頭で考えて何かを決断する必要はなくなるのでしょうか?

 その場限りの軽い選択なら、自分であれこれ考えるよりも機械の判断に黙って従っていれば間違いは少ないかも知れません。

 しかし人生を左右するような大きな決断においてはそうはいきません。

 例えば、どの学校に進学するべきか?どの会社に就職するべきか?何を目指して生きるべきか?といったような決断です。

 目標を達成出来るか出来ないかの客観的な判断はAIでできるかも知れませんが、やるかやらないかは自分の意志次第です。

 目標に向けて本気でやるのかやらないのか?結局成功するかどうかはそこに依存する部分が大きいのではないでしょうか。

 その目標に向けてこれから行動を起こすぞ!と覚悟をもって選択することがその目標を達成する必要条件の一つと言えます。

 「AIが勝てると判断したんだから勝てるに決まってる」と言って勝つための準備を怠った者が勝負に勝てるはずがありません。

 そしてその結果はすべて自分に降りかかります。AIは責任を取ってはくれません。

 選択には責任が伴います。

 責任はすべて自分が負うという気持ちが覚悟を生み、行動を生み、結果を生みます。

 選択する責任と覚悟、これはどんなに機械が賢くなっても代替えしがたいものです。

これからの時代の学び

 結局、どんなに賢いAIが人生をサポートしてくれるようになっても、自分で考えて自分で決断する力が要らなくなるわけではありません。

 大事なのは、電卓を使って計算結果を得るようにAIの客観的で正確な予測をうまく利用することではないでしょうか。

 賢いAIが何でも教えてくれるんだから人間は賢くなくても大丈夫。勉強しなくてもいいというのは完全に間違いです。

 もし社会全体がそういう方向に進むのなら、その社会に未来はないように思います。

 これからの時代を生きる子たちには、どうかAIの賢さに身を任せるのではなく、振り回されるのではなく、それを自分のため、社会のために使いこなせるように自分自身の賢さを磨き続けてほしいなと思います。

 そのためにはやはり幼少期に国語・算数、理科、社会といった古典的で基礎的な学びを重ねて脳の成長を促すことが必要です。

 そして論理的思考や抽象化能力を身につけること。数学を学ぶ意義は大きいでしょう。

 英語習得に関しては、コミュニケーションツールという意味では無くても困らないほどに翻訳システムの精度は上がるだろうと思います。

 ただし言語そのものに対する理解や言語感覚というのは多言語を学ぶことでより深まるものだと思うので、母国語以外の言語を学ぶことは脳の発達という意味では非常に有用だと感じます。

 結局どんなに賢い機械を手に入れても、勉強することは大切だということです。

 むしろ、賢さの価値はより高まっていくのかも知れません。

 世界がより良い方向に加速していくよう、子供も大人もしっかり学んでいきましょう。

 というわけで、もしヒトより賢いAIを手に入れても人類は勉強から開放されま・・せん!

この記事を書いた先生

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